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東京高等裁判所 平成8年(う)787号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柄澤昌樹提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官高橋晧太郎提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件の現場道路における被告人の留め置き及びこれに引き続く警察署への連行ないし警察署における取調べには令状に基づかないで身柄を拘束した違法があるほか、身柄拘束中の者に保障された弁護人選任権の行使を侵害した違法もあり、その違法の程度は令状主義を没却する重大なものであり、これら違法な手続を利用して入手された本件覚せい剤等の証拠能力は否定されるべきであるのに、これらを証拠として採用し、原判示第一及び第三の事実について有罪の認定をした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らか訴訟手続の法令違反がある、というのである。

一  本件捜査の経緯等

記録によると、被告人に対する職務質問、市原警察署(以下、「市原署」ともいう。)への同行、同署における取調べ等の経過については、原判決が詳細に認定しているとおりであり、その要点を摘示すると次のとおりである。

1  平成七年四月一七日午後一時三〇分ころ、千葉県警察本部機動捜査隊所属の鈴木警察官は、他二名の警察官とともに千葉県市原市市内を捜査用車両で走行中、被告人が運転する車両とすれちがった際、その後部プレートの状態等から同車両が無車検車ないし盗難車ではないかとの疑いを抱き、これを追尾したところ、同車両は、午後一時三八分ころ、同市八幡石塚二丁目四番地付近道路(以下「現場道路」という。)を後退進行して停止し、右捜査用車両も被告人車両と向かい合う形でその二、三メートル手前で停止した。現場道路は、少し先が行き止まりになっており、幅員約二・五メートルで車両のすれちがいは困難な場所であった。

2  鈴木警察官は、停車後直ちに職務質問を行ったところ、被告人は氏名、生年月日等を答えたほか、車検証の呈示を求められると、「斉藤という者から最近買ったもので、代金の一部しか払っておらず、車検証はない。」旨を述べた。そこで、同警察官は、車体番号を確認するためボンネットを開けるよう被告人に求めたが、被告人はこれを拒否し、さらに説得を受けると、興奮して「前に行くんだから車をどかせ。」と言って度々エンジンをかけ、警察官が被告人車両の前後にいるにもかかわらず二回位、二、三〇センチメートルの前進、後退を繰り返した。その間、無線照会により、被告人は無免許ではないが、覚せい剤取締法違反三件を含む一〇件の犯歴を有していることが判明した。

その後、被告人は、午後二時一五分ころになって、ようやく車内のレバーを操作してボンネットを開け、警察官がその車体番号を確認して無線照会を行ったところ、右車両は無車検、無保険車であることが判明し、被告人について道路運送車両法違反(無車検車走行)の嫌疑が濃厚となったため、警察官は被告人に対しさらに質問を続行するため市原署への任意同行を求めた。

しかし、被告人は任意同行を拒否し、興奮して、ボンネットが開いた状態のまま二回位エンジンをかけ車両を動かしたことから、午後二時二五分ころ、警察官は被告人車両のバッテリーの配線を外した。その後も、警察官は、降車して話をするよう被告人を説得したが、被告人は運転席に座ったまま、タオルで顔を覆って話に応じようとはしなかった。

3  午後三時ころ、応援要請により市原署交通課の小高警察官が他二名の警察官とともに現場に到着して説得に当たったが、被告人は依然として黙したままであり、午後三時三〇分ころ、被告人と顔見知りの機動捜査隊所属の中山警察官らが来て説得すると、被告人はようやく運転席のドアを開けて話には応じたものの、やはり降車せず同行を拒否していた。小高警察官は、このころ、無車検車走行を現認した場合における通常の処理方法に従い、同車をレッカー移動することとし、レッカー車の手配を行った。

4  午後五時過ぎ、市原署生活安全課の山口警察官が他二名の警察官とともに現場に到着して被告人に任意同行に応じるように説得し、また、所持品の呈示を求めた。被告人は、これを拒否していたが、その後、同警察官から無車検車を運転させるわけにはいかないなどと強く説得されたこともあり、被告人車両に乗ったままレッカー車で市原署まで牽引されるという条件で同署への任意同行を承諾するに至った。山口警察官は、被告人の承諾を得て被告人車両の助手席に乗り込み、更に、危険防止のため、同車両のドアが開かないように外側からロープで巻いたが、被告人は右措置についても特に異議を述べることもなかった。そして、被告人は、午後五時四五分ころ、現場道路を出発し、午後五時五六分に市原署に到着した。

なお、山口警察官は、被告人に対する説得中、被告人の言動ないし態度、従前から得ていた資料等から覚せい剤所持による捜索差押許可状の発付を得られるものと判断し、部下に対し右令状請求の準備を指示した。

5  市原署到着後、被告人は、車内にあった手提げバッグとハンドバッグを持参のうえ署内の取調室で小高警察官から無車検車走行についての取調べを受け、供述調書の作成に応じた。次いで、被告人は、午後七時ころから別の取調室で生活安全課の櫻庭警察官の事情聴取を受け、車両の所有関係やバッグの中身を尋ねられたが、質問には答えずバッグの開披も拒否していた。その間、被告人は二回ほど帰ると言って立ち上がったが、いずれも同警察官が被告人の肩ないし腕に片手を置くと、被告人はこれに逆らうことなく椅子に座り直し取調室に留まった。

なお、櫻庭警察官から事情聴取を受けている間、被告人は、「弁護士を呼べ」と言ったが、同警察官は、逮捕したわけではないので自分で頼むようにと述べた。

6  午後八時ころ、被告人の着衣等に対する捜索差押許可状が発付され、これに基づき、午後八時一〇分ころ、被告人の所持する前記手提げバッグの中から覚せい剤が発見され、被告人は覚せい剤所持により現行犯逮捕された。

以上のとおりである。

二  検討

本件捜索差押手続は、原判決が判示しているとおり、被告人を現場道路に四時間余、市原署に二時間余留め置いて職務質問ないし任意取調べを継続したうえで行われているのであるから、その適法性については、先行する右職務質問等の一連の手続の違法の有無、程度を十分考慮してこれを判断する必要がある。

そこで、以上に認定した現行犯逮捕に至る経過を踏まえ、所論に即し、(1)現場道路における職務質問、(2)市原署への同行、(3)市原署における取調べ、(4)弁護人選任権侵害の有無の順に判断を加える。

(1) 現場道路における職務質問について

所論は、被告人は、行き止まりになっている現場道路において、被告人車両に乗車中、午後一時三八分から午後五時四五分ころまで約四時間にわたり、警察官により停止させられ、その進入方向を警察車両により塞がれ、周囲を多数の警察官に取り囲まれるとともに、午後二時二五分ころ以降は、警察官により被告人車両のバッテリーの配線を外されエンジンがかからない状態に置かれていたものであり、しかも、その間、被告人が警察官の任意同行の要請を強く拒否し続けていたことからすれば、現場道路における右留め置きの措置は被告人の意思に反し、令状によらないで被告人の自由を長時間にわたって奪った点で、重大な違法がある、というのである。

そこで、まず、職務質問を開始したことの適否についてみるに、前記認定の経緯からは被告人について道路運送車両法違反(無車検車走行)等が疑われ、被告人車両を停止させたうえ、職務質問を行ったことは警察官職務執行法二条の要件を充たし適法な措置であったというべきである。

次に、その後、警察官が被告人に対し質問を続行するため警察署への任意同行を求めたのも、公道を塞いだ状態での質問は適当でなかったと認められるうえ、その段階においては車体番号の確認等により被告人について無車検車走行の嫌疑が濃厚となっていたのであるから、任意捜査としても、事案を解明し証拠を保全するために必要な措置であり、かつ職務質問に対する右車両の入手状況に関する被告人の応答内容等からその犯意等について証拠隠滅のおそれも多分に想定されたことから、緊急性も肯定され、許容されるべき範囲内のものである。加えて、これを放置すれば、被告人が引き続き無車検車走行するおそれもあり、その防止という(交通)行政警察の観点からは被告人にその運転車両から降車してレッカー移動等の措置に応ずるように説得する必要性が強く認められたところである。

したがって、警察官が、右の趣旨から、被告人に対し警察署への任意同行に応ずるよう説得を続け、その結果として、被告人をある程度の時間現場に留め置くこととなっても、任意捜査ないし無車検車走行の防止の手段として許容されるべきである。

所論は、右留め置きの措置は、その態様等から実質的に逮捕と同視できる旨を主張する。

確かに右留め置きは、時間の点はひとまず措くとしても、被告人車が現場道路から移動することを事実上困難にさせる態様のものであったと認められる。しかし、その理由は、被告人車が後退進入した現場道路が行き止まりであり、かつ幅員が狭いため、被告人車を追尾して停車した警察車両が被告人車両の進路を塞ぐ形となったことによるものであり、かつ前認定の経緯から明らかなように、この事態は成り行き上偶然そうなったにすぎず、警察官が当初から被告人をことさら車両移動の困難な状況に追い込んだものではない。また、現場に臨場した複数の警察官が被告人車を取り囲むような形になったことも否定できないが、これも前認定の経緯から警察官の数が途中から増えたためであり、かつ警察官らから被告人に対し有形力が行使されるなど強制があったことをうかがうこともできない。なお、これに関連し、所論は、警察官がバッテリーの配線を外したことの違法性を主張するが、原判決が説示しているとおり、右措置は、被告人が興奮してその運転車両を前後に移動させるなどしている状況にあって、職務質問及び任意同行の説得の継続が困難と認められたため、警察官職務執行法上の停止させる措置ないし任意捜査の必要上許容される措置として行われたもので、手段としても相当であり違法とはいえない。そして、このような留め置きの態様に加え、その目的があくまで任意同行等に向けての説得活動にあったことにかんがみれば、右留め置きの措置が被告人の意思を制圧して身柄を拘束したものとは到底いえず、実質的にみても逮捕には該当せず、この点に関する所論は採用できない。

ところで、右のとおり留め置き自体は適法としても、それが職務質問の開始から四時間余に及んだ点について、原判決は、警察官職務執行法及び任意捜査いずれの側面においても許容範囲を逸脱した違法があると判示している。

しかしながら、本件においては、既に述べたとおり道路運送車両法違反についての嫌疑が濃厚であり、任意同行等の必要性及び緊急性が高かったと認められることに加え、留め置きが長引くこととなったのは、原判決が指摘するように本件事案のもとでは現行犯逮捕も可能であったところ、警察官がこの種事犯の通常の事件処理の方法に従い任意捜査を選択したことから、車内に閉じ篭もるなどの被告人の頑な拒否の態度に遇って結果的に説得に時間を要したためであること、無車検車走行の事実が判明し任意同行のための説得を開始した時点から起算すれば、被告人が任意同行に応じるまでの留め置きの時間は三時間余にとどまること、さらに、前述のとおり無車検車走行を防止するため被告人を降車させレッカー移動に応じるよう説得する必要が強く認められたことなどの事情を総合考慮すると、任意同行のための説得を開始した時点以降の留め置き時間、さらには職務質問を開始した時点以降の留め置き時間を問題とするとしても、それらは、なお許容される時間的限度内にあったものというべきである。したがって、この点につき右留め置きを違法と判示した原判決の見解は適切とはいえない。

なお、所論は、原判決が、道路運送車両法違反により被告人を現行犯逮捕することは可能であり、警察官は採るべき措置の選択を誤ったにすぎないとし、この点を違法性の程度の判断要素として考慮している点について、現場の警察官が現行犯逮捕の理由、必要性がないと判断していたのに裁判所が右のように判示したのは極めて問題であるとしたうえ、仮に、本件で現行犯逮捕をしていたとすれば、それは覚せい剤を捜索差押するために行われたものであり、違法な別件逮捕であり令状主義を潜脱することになるとも主張する。

しかし、右所論は、右留め置きの措置を違法と判断した原判決の判断を前提として主張するものであるところ、右のとおり右措置は適法というべきであるから所論はそもそも前提を欠くうえ、捜査官個人が当時現行犯逮捕の要否についていかなる判断をしていたかはさておき、本件では原判決が判示しているように犯罪の嫌疑の明白性等から客観的には現行犯逮捕が可能な事案であったのであり、仮に、逮捕したとしても右違反事実自体に逮捕の理由及び必要性が認められる以上、違法な別件逮捕に当たらないことはいうまでもなく、いずれにせよ、所論は採用することができない。

(2) 市原署への同行について

まず、所論は、被告人が任意同行を承諾したのは山口警察官の強要によるものである、と主張する。しかし、被告人は、捜査段階では、「車に乗ったままレッカー移動して市原署に同行するのならよい」と自ら提案し任意同行に応じた旨を供述していた(被告人の検察官に対する平成七年五月八日付け供述調書)のであり、そこに同警察官からの強制をうかがうことはできず、右所論は採用できない。

なお、所論は、右に関連して、原審において、被告人が、「山口警察官が被告人の腕を掴んで引きずり出そうとした」などの供述をしていることについて、右供述は十分に信用できると主張するが、原判決が説示するとおり、右供述は同警察官の供述等と対比し到底信用できるものではなく、この点の所論も採用できない。

次に、所論は、被告人を市原署に同行するに際し、その逃亡を防止するため、警察官が被告人車両の助手席に同乗して被告人を監視し、かつ、被告人車両を外側からロープで巻きつけ、被告人の座っている運転席のドアが開かないようにしたのは、令状なくして被告人を実質的に逮捕したものであり、重大な違法がある、と主張する。

しかしながら、記録によると、山口警察官は、被告人が覚せい剤使用の影響によると見られる興奮状態にあったことから、レッカー車に牽引されて走行中の車両から車外に飛び降り傷害を負うことなどを懸念し、そのような事態を防止するため被告人の承諾を得て車両の助手席に乗ることとしたものであること、さらに、そのような措置を講じていても、車外へのとっさの飛び出しを防ぎきれないこともあることから、さらに慎重を期し車両を外側からロープで巻くこととし、そのことについても、被告人は特に異議を述べなかったことが認められ、これによれば、右措置は、被告人の身体の安全を確保することを目的とし、かつ被告人の承諾に基づくもので、実質的にみても逮捕と同視できるものではないから、所論は採用できない。

(3) 市原署における取調べについて

所論は、市原署における取調べは、午後五時五六分から午後八時ころまで、約二時間にわたって被告人の明示の意思に反して行われたもので、被告人の自由を長時間にわたって奪った点で重大な違法がある、というのである。

しかしながら、市原署への同行は被告人の任意の意思に基づくもので、取調べに先立つ手続きに違法は認められないうえ、同署における約二時間の取調べの時間のうち当初の約一時間は現に道路運送車両法違反の事実についての取調べに費やされており、被告人自身これを拒否することなく供述調書の作成に応じていること、また、その後に引き続く生活安全課所属の櫻庭警察官による取調べも、覚せい剤取締法違反の嫌疑に基づき任意捜査として行われたものであり、違法とは認められないものである。

所論は、原判決は、櫻庭警察官が、その取調べ中に退去しようとして立ち上がった被告人を制止したのは任意捜査のための措置として許容される旨判示している点について、被告人は、取調べを拒否して退去しようとしたのを同警察官により取り押さえられたものであり、事実上逮捕された状態にあった旨主張する。

しかしながら、右に認定したとおり、櫻庭警察官の採った措置は、肩に手をかける程度のものにすぎず、右主張に沿う被告人の供述は同警察官の供述と対比し信用できないうえ、被告人に対する覚せい剤取締法違反の嫌疑の存在及びその取調べの必要性、緊急性等にかんがみると、原判決が説示するとおり、任意捜査に伴う有形力の行使として許容される範囲のものというべきである。

次に、所論は、職務質問開始以降午後八時までの間の身柄拘束状態は、当初から、警察官が、被告人が所持していると疑っている覚せい剤を捜索差押するための目的で行われたものであるから、この点においても、本件留め置き及びこれに引き続く連行ないし取調べの違法性は重大である、という。

しかしながら、既に述べたとおり、右の間、被告人は身柄拘束状態にあったわけではなく、また、右一連の手続きについても、現に存在した道路運送車両法違反の嫌疑を対象とするもので、所論のいうような目的の下に行われたものとはいえず警察官職務執行法上の措置ないし任意捜査として適法というべきである。

なお、記録によれば、本件において、捜査機関は右の嫌疑と並行して被告人に対する覚せい剤取締法違反の嫌疑をも抱いており、道路運送車両法違反の事実の取調べに引き続いて右嫌疑についても任意捜査を行うことを意図ないし予定していたことがうかがわれるが、そのこと自体違法とはいえず、これにより、右一連の手続き全体の適法性が左右されるものでもないから、いずれにせよ所論は採用できない。

(4) 弁護人選任権侵害の有無について

所論は、被告人は、職務質問開始以降、令状に基づかずに、違法に身柄を拘束されていたところ、この間、被告人は警察官に対し何度も弁護士を呼んでほしいと申し出たのに、結局、警察官から弁護士に対する連絡はなされなかったのであるから、被告人の弁護人選任権が侵害されたことは明らかである、というのである。

しかしながら、既に判示したとおり、右の間、実質的にみても所論のいうような逮捕状態にあったものではないから、所論は前提を欠くうえ、被疑者であると否とを問わず、身柄の拘束もない段階においてその者から弁護人への連絡を依頼されたからといって、直ちにその警察官自身が弁護人に連絡すべき義務はないし、また、被告人において、弁護士に自ら連絡しようとしたこともなく、警察官が連絡を妨げた事実もないことが認められるから、弁護人選任権が侵害されたとする所論は採用できない。

三  結論

以上のとおり、本件捜索差押手続に先行する一連の手続について、所論のいうような違法はいずれも認められず、本件で押収された覚せい剤等を違法収集証拠としてその証拠能力を否定すべきであるとの所論は採用できない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林充 裁判官 山田利夫 裁判官 多和田隆史)

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